二葉塾長のつぶやき

最近のSNSによるトラブルについて

●公の場の意識の欠如

最近、芸能界やオリンピックなどでも、SNSによる誹謗中傷が話題になることが、多いなと感じます。一時期、沈静化に向かうのかな?とも思った事件もありましたが、一向に沈静化するどころか、ひどくなっています。

一方、私自身、個人塾を8年やっておりますが、やはり、生徒同士でも、書き込みによる誤解、誹謗中傷、乱用などで、人間関係が、ギクシャクする事例が後を絶ちません。毎年異なる生徒が、ほぼ同様の事件に巻き込まれ、悩んでいることを耳にします。

やはり、「言うこと」と「書くこと」の違いの認識が、一向に改善されないのが、大きな原因の一つだと思われます。

例えば、愚痴や悪口など、今に始まったことではありません。飲み屋さんや、食事の場で、友達同士で愚痴りあったり、悪口を言ったり・・・。昔からありました。その情報が、なにかしら漏れて、トラブルになることもあったと思います。

有名人でも、愚痴の対象となる人でも、その場に基本的にいませんし、耳にすることも噂レベルがほとんどだと思います。こういうことは、日常茶飯事です。しかし、これでも、人間関係によるトラブルは絶えませんでしたし、ストレスを抱える原因になっていました。

ところが、今は、SNS、特にX(元Twitter)やFB、インスタなど、当事者が目にする可能性がある中で、平気で上記のような発言をする人々が増えているように思います。

中には、意図的に、悪意を持って書き込む人も多々いるようです。相手が見る可能性がある以上、そこは「公の場」だと、私は考えています。SNSなど、便利なツールが出てくると、おおよそ、悪用する人が多くなるのも、ある意味人間の本質かもしれません。

●誹謗中傷の厳罰化

とある記事で、誹謗中傷への厳罰化を提案する内容を目にしました。これは、法整備の一環として、早急に取り組むべきだと私も考えます。文字で相手を刺すという行為は、非常に卑怯だと思います。

その行為のみを、ここぞとばかりに袋叩きにして、謝罪すると、今度は、上げ足を取る記事が横行する・・・。目に余ります。正直、こんなくだらない世の中になってしまったのは、なぜなんでしょう?

確かに、諸悪の根源はあるでしょう。しかし、人間失敗する生き物です。そんなもんだと、いつも授業で言っています。

このような失敗を、反省もせず何度も繰り返してしまう人については、確かに、ご家庭も含めていろいろな問題を含んできますし、裁判を見ても、初犯と2回目以降は、同じ犯罪でも、量刑が重くなるのは、周知の事実だと思います。

もちろん、大人になれば、1度きりの失敗でも、取り返しのつかない状態になることも多々あるでしょう。しかし、 その失敗で、その人の人生、人格まで否定するような権利は、我々にはないはずです。

これを、平気でやっている人々の方が、むしろ重罪ではないでしょうか?基本的人権は、保障されているものとだけ、認識している愚かな人間と、私は解釈しております。基本的人権は、保障されると同時に、主権者である我々が、他の人の基本的人権を尊重する立場にもあると、憲法にしっかりと書いてあります。不断の努力を怠り、相手を誹謗中傷する・・・。お前は絶対に失敗しないのか?と問いたくなる文章も多々見られます。

当事者の方ならなおさらでしょう。他人が誹謗中傷にさらされていても、心を痛める人もいるんです。そろそろ、自己中心的な振る舞いは止めにしましょうや。

●人の悪口は、書かない!

「悪口」の定義ってなんでしょう?「指摘」、「意見」、「批判」など、たくさん言葉があります。これらは、すべて「こうしたら、もっと良くなるかも・・・」という部分も含んでいます。

「悪口」というのは、自分本位でものを考え、自分の感覚のみで感じたことを、不特定多数の相手に言い散らすことだと思います。「誹謗中傷」も、端的に言えば、この「悪口」に当てはまります。

とはいえ、まともな感覚を持った人でも、時には「愚痴」や「悪口」を言いたくもなるでしょう。しかし、絶対に「書いてはいけない」と思います。

なんでもそうですが、文を書いて、物を伝えようとするには、慎重にならねばならない。私はこう思います。みなさんは、いかがお考えでしょうか?

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