二葉塾長のつぶやき

超ホワイト社会という皮を被った超ブラック社会の到来か?

働き方改革の功罪

「働き方改革」という言葉が、世に出始めたのは、「超ブラック社会」、「就職氷河期」などのワードが世にはびこり始めてから、実に20年後の2015年ごろのように記憶しています。

私個人からすると、本当に「今更何を言ってるんだ?」という感覚です。私は、周囲の人たちから見ても、割と超ブラック寄りの会社に、正社員として勤めていたので、ブラック化していく過程を、まざまざと見せつけられました。

残業時間の実際の数値と、その時間を超えると命に係わる・・・・。などと言われていましたが、私の感想は、「たったそれだけ?」でした。人にもよるでしょうが、その2倍、3倍の時間を、しかもサービス残業という形で消費してきたものにとっては、怒りを通り越して、笑いが出るほどでした。

我々の世代は、独身の方も多くいらっしゃいます。別に結婚したくないわけではないという人も多数いたはずです。したくても、経済的にできなかったのです。少子化問題と叫ばれて久しいですが、まさに20年以上、少子化問題を加速させていたわけです。ホントに、いまさらですよね。

働く場所の選択で決まった明暗

やはり、大企業や公務員を選んだ人と、中小企業で働いていた人で、経済格差も含め、大きな差が出ているように思います。学歴は、昔ほど関係ないように思われます。

中小企業の蝕まれ方は、ひどい状況だったようです。当時、中高年の激しいリストラ、新人社員の不採用、契約社員などの非正規雇用者の激増。恣意的かつ無理な成果主義の導入、報酬の減少などなど・・・まさに、1年先が読めない中で、年々苦しくなるなか、ハローワークに群がる求職者をわき目に、ひたすらしがみつくしかなかったのを記憶しています。

同僚も、次々と病んでいき、自殺したり、病気を放置して手遅れになり、50手前でなくなる先輩もいました。

超ホワイト社会という名の超ブラック社会

働き方改革以降、「コンプライアンス」だの、「リテラシー」だのと、スマホやSNSの普及に伴い、ブラック社会の払拭の方法論として、簡単に言えば、「みんないい子になりなさい」という空気に満ち溢れている感じがします。

「こういうことはしてはいけない」、「こういうことは言ってはいけない」、「こういうことは差別だ」という感じの法律がドンドン湧き出していきます。結果として、それらを1つでも犯した人は、SNS上で袋叩きに遭って、そのまま消されるという社会が、定着しつつあります。この傾向は、今後もっとひどくなっていくことでしょう。これは、ある意味「超ブラック社会」という風に見えるのは私だけでしょうか?

これから、大人になっていく世代は、我々氷河期世代よりもはるかに厳しい社会を生きることになるかもしれません。もしそうなれば、今の教育制度や、学習塾、家庭でのお子様のポジショニングなどを鑑みると、大人になって生き延びることができるかどうか、不安でなりません。

いつの間に、こんな社会になってしまったんでしょうね・・・。

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